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古田織部について  久野 治
                

 
美濃の武将茶人で「織部」というやきものにその名を遺した古田織部(1544-1615年)にひかれて30年。織部に関する著書は5冊になった。

1923年、岐阜県多治見市に生まれた私は昭和37年、三菱電機に入社、その間、電機連合、IMF・JC(金属労協)などで労働組合運動にもかかわったが、人生のテーマの一つに選んだのが古田織部の研究であった。

焼物の織部は、桃山の陶芸ルネサンスを飾るものとして古来、名が高い。ところが、茶聖、千利休(1522-91年)の高弟で、「利休七哲」の一人である古田織部は、利休没後は「天下茶湯指南」「数寄屋の随一」などと呼ばれたにもかかわらず、人となりは意外に知られていない。
                                                古田織部 肖像画

 猛烈調査で生誕地発見
私は、猛烈に古田織部のことを調べ始めた。すると、謎の人物視されてきた織部の事が面白いように分かってきた。織部の事が、広く知られなかった最大の理由は、その最後にあった。大坂夏の陣の後、徳川家康によって切腹させられたため、江戸時代以降、歴史の表面に出ることはなかったのである。

最初の大きな発見は、織部の生地を探し当てたことであろう。織部に関する唯一の著書ともいえる桑田忠親『古田織部』にも、生誕地は「美濃」とあるだけだった。私は、先学の研究をもとに各地を歩き、資料をあさって、それが岐阜県本巣町山口であることを突きとめ、地元の史誌に発表した。JR東海道線大垣駅で樽見鉄道に乗り換えて30分。本巣駅に今は「古田織部生誕の地」の案内看板が立つ。この地はかつて、源頼朝の家臣だった梶原景時の居城があったともいう。

織部の生年は、異説もあるが天文13年(1544年)である。幼名は左介、のちに重然(しげなり)と改めた。豊臣秀吉が関白になった天正13年、古田織部正(ふるたおりべのかみ)となり、3万5千石の大名に列せられる。

織部灯籠という特色ある灯籠がある。一名「キリシタン灯籠」と呼ばれたのは、刻まれているものがイエズス会を表す「IHS」と読めるためだ。しかし私は、織部の生年が天文13年の甲辰であることから、「辰」の字を石工が図案化したものと考えている。
広島修道大学の松本真教授も、同じ見解を発表しておられる。

長女・昌が岐阜県関市の梅龍寺に葬られていることを明らかにし、法名と墓も確認した。長女と言われてきたセン(千)が二女であって、竹田市の高流禅寺に墓所のあることも確かめた。『断家譜』に男子2名とあるのは5名の誤りだ。菩掲寺へ行けば、織部を真ん中にして左右5人の男子が肩を寄せ合うように眠っている。

 和平工作が招いた死
これまで、織部切腹の理由の根拠として『徳川実記』巻三十八の記述があげられてきた。いわく、「大阪(豊臣方)に内通し」、京都を焼き払おうとしたことが露見して罰せられたこと。これを元に、スパイ説、反乱説、キリシタン説、はては家康暗殺未遂説まで飛び出した。私はこうした俗説を排し「織部ハト派説」を唱えてきた。

織部と家康の関係が悪くなるのは、慶長17年、二代将軍秀忠の茶道指南役として江戸へ下向するころからだ。織部はこの機会をとらえて、徳川・豊臣両者の平和的共存はできないものかと和平工作に動いた。それが、家康の意に反したのだと私は様々な物証から確信している。

その証しの一つが、織部の心を知った美濃の窯ぐれ衆が、和平の実現を願って熱田神宮に奉納した「青織部獅子鈕香炉」である。側面に鮮やかに「慶長十七年九月吉日」と刻んである。

同じころ、織部の一の愛弟子、小堀遠州は織部を避けるようになり、離れていったことが『宗甫公お尋ね書き』に記されている。織部の和平工作が、家康の逆鱗に触れる第一歩で、ついに織部は師の利休同様、従容として死地に赴いたのではないだろうか。

 ニューヨークで展示会
私は古田織部は、郷土・岐阜県が生んだ日本のレオナルド・ダ・ヴィンチだと思っている。茶陶として美濃焼が全盛を誇った安土桃山時代は、まさに日本の陶芸のルネサンスだった。創造性豊かで斬新な造形と意匠で、桃山ルネサンスをリードしたのが織部だった。

岐阜は県をあげて「オリベイズム」を掲げ、さまざまな試みを行っている。「織部―転換期の日本美術」と題してニューヨークのメトロポリタン美術館日本ギャラリーで展覧会を開いたのもその一環である。

古田織部研究家 久野治 (特別寄稿)

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